「佐藤彦五郎新選組資料館4月23日開館!!
■「佐藤道場はこちらから
市村鉄之助が日野に来た記録がある「不許他見」の佐藤家の記事
新たに発見された佐藤彦五郎の公用日記
鉄之助の持参した土方歳三の写真
■「佐藤彦五郎 天然理心流免許皆伝 剣技見られます
「佐藤彦五郎 日野宿最後の名主」 天然理心流免許皆伝 
■今昔備忘記 佐藤俊宣(源之助)の読下文と佐藤福子様動画もご覧頂けます。
佐藤家所蔵、日野市商工会公認 転載禁止
 ■ 日野舘(おそば屋)が新店舗に移転しました。
 新店舗は2004年5月、日野市神明3-1-10に新築開店
「佐藤彦五郎俊正 新選組の支援者」  土方歳三の義兄
年 度 佐藤彦五郎俊正 新選組関連項目
1827年(文政10年) 佐藤家長男として誕生幼名庫太 1834年〈天保5年)近藤勇生まれる
1835年〈天保6年)土方歳三生まれる
1838年(天保8年) 父が亡くなった為11歳で名主役を継ぐ日野本郷3000石を管理した。 1847年(弘化4年)井上源三郎近藤周助に入門
1849年(嘉永2年) 近隣農家から出火佐藤家を含め類焼この騒ぎにうらみを持つものが斬りつけ祖母他1名が斬り殺された。治安維持を痛感する。 千人同心井上松五郎の紹介で天然理心流近藤周助に入門
1854年(安政元年) 天然理心流極意皆伝、近藤勇とは兄弟弟子、町田小野路の小島為政と三人で義兄弟となる。
自宅長屋門を改造して剣道場とする。 近隣の若者がこぞって入門。幕府が品川沖、砲台築造時献金
月1回江戸試衛舘から近藤勇・沖田総司らが稽古をつけに来る。
1858年(安政5年) 8月日野宿の近藤周助門人23名が牛頭天王社(八坂神社)へ懸額を奉納 奉納額(土方歳三の名はない)
1860年「武術英名録」に土方歳三他7名の名が載る。
1861年(文久元年) 8月近藤勇天然理心流宗家4代目襲名披露試合が府中六所宮(大国魂神社)で行なわれる。 大きな奉納額が官軍探索の前にどこかにかくされた
1862年(文久2年) コレラが蔓延し100余人、仏棺が街道に列をなした。この時米穀、薬財を広く施与し将軍家より白銀を給わった 疫病の呪いなる由多数の大般若経巻を貸し出した(大昌寺へ寄進)
1863年〈文久3年) 将軍警護浪士組募集には名主の仕事の為義弟の土方歳三を推挙自らは江戸と多摩の新選組隊士の世話と剣の指導を引き受ける。 農兵隊を組織する。 近藤勇には資金的協力と相談に応じていた。
1866年(慶応2年) 武州名栗で発生した一揆は小宮村に迫り八王子千人同心、農兵隊が出動、長男源之助も銃術で射撃、撃剣にて鎮圧。八王子へ凱旋 1864年池田屋事件発生、新選組注目される、
1867年〈慶応3年) 薩州浪人12人関東を徘徊、八王子の壷伊勢屋の投宿、近藤門下を引き連れ拳銃をもつ相手に突撃、近藤勇も鉄砲玉はあぶないあぶない。私もそれは遣らぬ 10月大政奉還、江戸で新隊士募集
1868年(明治元年) 3月甲陽鎮撫隊と日野宿の農兵を中心に組織した春日隊、甲府向うも雪にも阻まれ勝沼戦争で敗退  佐藤家離散の危機   江戸から東京と改称 正月鳥羽・伏見の戦い、井上源三郎戦死
4月近藤勇処刑、5月沖田総司江戸で病死する
1869年(明治2年) 逗留さきより忍んで近藤、土方に一族赦免を相談、土方歳三より源之助に葵御紋の刀を貰った。近藤は大久保一翁に、土方は海舟勝安房守に密使をたてて、日野佐藤彦五郎一家差構なしの達しが大本営詰め西郷からあった。 名前を代々の彦右衛門に改める。 5月箱館総攻撃、土方歳三戦死
7月初め市村鉄之助が佐藤家に到来土方歳三写真と遺品を伝承する。
1872年(明治5年) 戸籍作成時に佐藤俊正と改めた多摩川築堤工事を行う。
1873年〈明治6年) 第9区区長に就任、学校誘致に尽力
明治7年新政府に敵対して戦死した者の霊を祀ることを許可。
1877年〈明治10年) 明治9年近藤・土方両雄顕彰が検討される。小島為政・土方義弘・佐藤俊正らが奔走
1月17日妻のぶ47歳で死去
1881年〈明治14年) 6月三男連太郎22歳で死去、  初代南多摩郡長を辞職
1882年〈明治15年) 多摩川での投網や釣り、土方歳三の長兄 閑山亭石翠とは俳句などで親交は一層深まった
1902年(明治35年) 第13代彦五郎俊正明治35年9月17日病没 76歳 菩提寺は大昌寺 1888年(明治21年)殉節両雄之碑落成
八坂神社 奉納額の写真
菩提寺 大昌寺山門大昌寺 本殿
平成14年春の櫻
佐藤彦五郎壮年
八坂神社奉納額
大昌寺山門
大昌寺本殿
平成14年 春の櫻
「聞きがき新選組」新人物往来社 佐藤彦五郎より四代目佐藤あきら著

佐藤彦五郎 長男源之助(俊宣)・・佐藤仁(籬蔭史話執筆者)・・佐藤あきら著
佐藤彦五郎肖像
佐藤彦五郎剣道着 源氏車家紋入り
佐藤家の剣道着
佐藤道場、郵便局に改装された。
土方歳三 近藤 勇 八坂神社・奉納額 佐藤彦五郎道場跡 井上家の菩提寺 坂下地蔵と近道
イラスト地図 日野市観光資料 新選組ガイド 佐藤家の菩提寺 東の地蔵 リンク集
日野舘向い日野高札場跡の碑
天然理心流の碑
日野舘入口
歴史を刻む門の金具
長屋門の一部
旧下佐藤家(本陣跡)
天然理心流の碑 日野高札所跡の碑
下佐藤家の玄関 長屋門の一部 門金具の拡大写真 門から邸内を望む
重厚な建築 西側から望む 上佐藤家の門 昔の長屋門、左側に剣道場
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多摩川の渡しの碑 沖田総司も見た多摩の山並 立川側ある歌碑 有山彦吉が参加した日野銀行の建物 
佐藤彦五郎が守った猿橋 下からせり出す独特の構造 高所の為難易度の高い工法 非常に美しい橋、渡れます
佐藤彦五郎、歴史を刻んだ顔に注目。
熱血漢、佐藤彦五郎、壮年の写真
■佐藤彦五郎は土方歳三の姉のノブを妻とし、若年から日野の名主として日野宿を管理。天然理心流を学び剣道場を設け、新選組設立には資金面でも大きな役割を果たした。佐藤彦五郎なくして新選組は語れません。六所宮の試合では抜群の技で勝利しました。熱血漢「彦五郎」
新選組史跡クリックマップ  京王出版 多摩おもしろMAPより
平成元年(1989年) 店舗は入れ替わりがあります。現在とは大きく異なる地域がある事をご了承ください。
■ 佐藤家の菩提寺、大昌寺はこちら
日野宿本陣 市村鉄之助匿われていた部屋の写真はこちら
日野宿本陣の看板
左から市村鉄之助の居た部屋。中央、控えの間、右が歳さん昼寝の部屋
奥が市村鉄之助の匿われていた部屋
■市村鉄之助、涙のエピソード!!!
■佐藤彦五郎の武勇伝はこちらです。
日野宿本陣にて 佐藤家子孫「佐藤福子さん」 中央
俊宣の書いた「佐藤家の記事」市村鉄之助の事が記載されている。
7月13日よりピースメーカー「鐵」原画展
市村鉄之助が日野に届けた土方歳三の写真
発見された佐藤彦五郎、公用日記
市村鉄之助はここで暮らしていた。
座敷から土間を望む
本陣内、展示の様子
奥が市村鉄之助の匿われていた6畳
市村鉄之助の部屋の釘隠し金具(蝙蝠)
■ 殉節両雄之碑はここをクリック
「殉節両雄之碑」   拓本 谷春雄家蔵           
明治21年7月高幡山金剛寺境内に建立される。構想から
10年流れ篆額松平容保、撰文大槻磐渓、書松本順による
漢字約1600文字で記述されています。
殉節両雄之碑 高幡不動尊
両雄の碑90年祭の写真
佐藤彦五郎の家紋
日野市観光資料 イラストMAP 日野ニュースweb 春夏秋冬 新聞記事 刀剣村野 歳三うどん
7月13日より原画展開催
■2004年 10月11日PM声優トークショー報告