■ 井上源三郎資料館では井上泰助書簡を始め沖田家と井上家が深い関わりを持っている
史料を展示中です。他では見られない井上源三郎書簡、天然理心流免許の本物の史料の数々
をご覧頂けます。
第1、第3日曜日 午前11:00から午後5:00まで開館大人¥500円、子供¥300円
電話 042-581-3957、団体の場合平日開館も致します。駐車場なし
井上松五郎は天保15年から明治元年まで石坂弥次右衛門の世話役を勤めこの間。日光勤番を主とした千人同心として、文久三年、将軍家茂の上洛の供として同行した。2月7日から7月4日まで見聞禄と供に浪士組として上洛していた近藤・土方・沖田・井上・斎藤等が松五郎の所へ相談に来た事も記載されている。
天然理心流を3代目近藤周助に学び、弘化2年(1845)中極意目録を授与されている。万延元年(1860)8月近世万延武術英名録にも日野宿北原天然理心流指南井上松五郎として記録されている。
しかし松五郎は武術ばかりでなく人格も温厚円満な人柄で仲介では丸く収める事が人望が厚かった。
残念ながら明治4年の流行病で4月1日に永眠してしまった。年齢は47歳位と推察される。
■ 井上家について
井上家は遠祖を井上掃部頭といい、室町時代の初期(1400年)には、駿河国に住み、今川氏に仕えていたが、桶狭間で信長に討たれ、甲州で武田氏に仕え、天正十年(1582)武田氏が信長に滅ぼされ、武蔵国日野本郷北原に移住したと語り伝えられている。北条氏照により開発された日野宿は開幕後、甲州街道の完成で宿場町として賑わった。
■江戸時代、正徳三年(1713)、井上藤兵衛門が従兄弟の井上八左衛門の明株を継いで八王子千人同心となる。井上藤兵衛門から七代目が井上松五郎といい、天保十五年(1844)病気で次男の松ニ郎ニ譲り藤左衛門となり日野本郷の組頭になった。
■松二郎には五人の兄弟がいた。 平助・松次郎・源三郎・興四郎・権太郎 家を譲られ千人同心となった松二郎は松五郎を襲名し、江戸幕府瓦解まで石弥次右衛門の世話役を勤めた。松五郎は筆まめで文久三年の旅記録には浪士組に参加した近藤・土方・沖田などが相談に来た事が「文久三年御上洛旅記録」として残されている。
日野市商工会公認イラスト 転載禁止
表紙・墓所・記念碑・肖像のみ拡大表示になります。
■文久三年井上松五郎御上洛御供旅記録、
資料館で発売中¥1000円)
髭の源さん、人気上昇中!!
■ 最終更新日 2008 4 15
多摩動物園
平山城址公園
豊 田
百草園
石田寺
高幡不動尊
多摩市、旧富澤家
新選組 副長助勤
六番隊組長 井上源三郎
■ 新選組 副長助勤 六番隊組長 井上源三郎 ■
日野宿の井上家三男として文政12年3月1日に誕生。。天然理心流、近藤周助の弟子となり佐藤道場や自宅で剣術に励む。兄、松五郎と共に日野八坂神社の奉納額に記載され万延元年、免許皆伝の腕前、温厚にして頑固、文久3年浪士隊、後の新選組に加わり活躍、慶応4年、鳥羽・伏見の戦い、千両松に出陣し、戦いの中、銃弾によって討死した。通称「源さん」 近藤・土方には大きな支えになった。
新選組史跡クリックマップ 京王出版 多摩おもしろMAPより
平成元年(1989年) 店舗は入れ替わりがあります。現在とは大きく異なる地域がある事をご了承ください。
■ 井上松五郎について
持ち上げ観音 36cmの馬頭観音の石像で古来より持ってみて軽く感じた時は願いが叶い重く感じると願いは叶わぬと言われている。
臨済宗建長寺の雲芳同応大和尚、創立は元徳年間(1330)当初は姥久保にあり火災により現在地に再建された。 本尊の釈迦如来、脇侍の文殊菩薩、普賢菩薩の三尊がある。
宝泉禅寺
■ 井上源三郎について
井上源三郎の資料は少ないが近くの寺子屋の日野嘉蔵義貴について学業を学んだ。弘化三年頃、近藤周助に入門。出稽古で井上家の庭や土間で周助の指導を受け、修練を積み、嘉永元年(1848)三月に切紙、目録、安政二年(1855)三月に中極位目録、万延元年(1860)五月に免許を受けている
■宿場騒動の再燃から大火の折り、自己防衛から剣道を学ぶ為、佐藤彦五郎は松五郎の紹介で屋敷に天然理心流、佐藤道場を開いた。松五郎・源三郎もこの道場で鍛錬を重ね安政五年(1858)秋に鎮守牛頭天王社(八坂神社)へ剣術上達を祈念する奉納額が飾られた。 この額は二本の木刀と共に26名が記され日野宿の剣士が名を連ねている。
嶋崎勇藤原義武・沖田惣次郎藤原春政・も客分として記されているが土方歳三は翌安政六年に三月に石田村の人五人で入門している。
■池田屋事件のおりには激闘中の近藤・沖田・永倉等を援け、二階梁の上に潜む敵を斬って落とした。また近藤勇を援けたり新選組中心部の人との緩衝的な役割を果たしたとも推測される。
詳細は再版された井上松五郎・源三郎兄弟の事蹟をごらんください。、
■井上泰助が沖田ミツに宛てた手紙の下書き)詳細は実物をごらんください
■帝釈武左衛門から沖田林太郎に伝授された、火薬製造に関わる秘伝書
■千人同心関係史料の展示も計画されています。
文久三年 時系列での「将軍上洛と浪士組」の比較
| 日 時 |
天 |
井上松五郎御上洛御供旅記録 |
浪士組将軍警護上洛 |
| 2月4日 |
晴 |
大昌寺より餞別、銀一朱を賜わる |
伝通院に集まる、急がば回れ中仙道 |
| 2月5日 |
晴 |
扇楼、玉幸、原幸之助から餞別銀2朱 |
小島鹿之助、試衛館を訪れる |
| 2月6日 |
晴 |
親類が暇乞に来る。千人町に荷作りに行く |
伝通院集合、道中心得を申し渡せれる |
| 2月7日 |
雨 |
のち晴、府中宿昼食近藤周助へ挨拶、講武所泊 |
井上松五郎さん、試衛館へ挨拶にくる |
| 2月8日 |
雨 |
講武所に居る |
伝通院出発、鵜殿甚左衛門鳩翁宅立寄、蕨宿 |
| 2月9日 |
晴 |
御旅所、日枝神社、山王様参拝 |
鴻の巣宿泊 |
| 2月10日 |
晴 |
両国へ買い物、矢立、梅ひし百文 |
本庄宿、宿手配を誤り、芹沢一派路上で大かがり火 |
| 2月11日 |
晴 |
陣笠、筆、両替を5両する |
松井田宿泊 |
| 2月12日 |
晴 |
しるこ食べ、手拭買い、講武所荷〆、夜川崎宿へ |
追分宿泊 |
| 2月13日 |
晴 |
御発駕、品川宿で昼食 |
長久保宿泊 |
| 2月14日 |
雨 |
川崎宿、より御行列、御供、戸塚、紀伊国屋泊 |
下諏訪宿泊 |
| 2月15日 |
曇 |
戸塚、御泊休日、喜四郎、芳三郎に会う、大潮宿 |
奈良井宿泊、火の用心の通達 |
| 2月16日 |
曇 |
大磯出立、下梅沢村立場御小休、小田原泊 |
須原宿泊、 |
| 2月17日 |
|
右に城、名物ういろう、かつおたたき箱根峠小休止 |
中津川宿、組替え |
| 2月18日 |
|
三嶋出立、千本松原、富士山見える、吉原泊 |
伏見宿泊上洛 |
| 2月19日 |
曇 |
東泉院御出立、ふじの白酒名物あわび取り上覧■ |
加納泊、芹沢取締役、近藤先番宿割りに復帰 |
| 2月20日 |
曇 |
興津御出立、駿府御小休御旅館御城 |
柏原宿泊 |
| 2月21日 |
雨 |
上様、久能山へ御立為寄り、10人は浅間様参詣 |
佐武宿泊 |
| 2月22日 |
曇 |
駿府出立、つつじの名所、阿部川舟渡し、とろろ汁名物 |
大津宿泊 |
| 2月23日 |
|
藤枝宿御本陣青嶋治右衛門宅出立、八幡宮御小休■ |
入京、足利三代木像梟首事件 |
| 2月24日 |
晴 |
興津、金谷御本陣小休御出立牧ヶ、兼坂峠 |
清川、学習院に上書、受理される。 |
| 2月25日 |
晴 |
三月ヶ橋、天竜川御小休、舟渡し |
■ |
| 2月26日 |
雨 |
濱松、御本陣出立、舞坂右に城見ゆる |
■ |
| 2月27日 |
晴 |
岡崎宿熱田大明神へ参詣、中々大社常夜灯多し |
■ |
| 2月28日 |
晴 |
右に名護屋之御天守、御手当、七両ニ分受取り |
近藤、六番組小頭となる。 |
| 2月29日 |
雨 |
町屋橋長さ240間、焼き蛤の名物、日野の夢を見る |
午前中六番組、午後三番組御所を見学 |
| 3月1日 |
晴 |
30日、四日市御旅館、亀山城、西之方湖見ゆ。 |
30日東下希望の上書を学習院に提出 |
| 3月2日 |
雨 |
土山宿、植木屋庄右衛門江御小休 |
■ |
| 3月3日 |
晴 |
城右に見え、三井寺へ参詣 |
浪士組東下の達しが下る |
| 3月4日 |
晴 |
大津出立、三条通大橋、八王子へ手紙出す |
将軍上洛、二条城に入る |
| 3月5日 |
雨 |
休日、銘々懇意のものに挨拶に参る |
■■■ |
| 3月6日 |
晴 |
佐藤東太郎・日野信蔵に遇う、壬生へ挨拶 |
松五郎、壬生に近藤らを訪問する |
| 3月7日 |
|
6日続、高瀬川生亀酒宴、沖田、本多と別れる |
■ |
| 3月8日 |
晴 |
加茂明神参拝、佐藤房次郎、馬場兵助いとま乞 |
■ |
| 3月9日 |
雨 |
御城内え詰合勤番、松原に首切り胴有り |
・浪士組帰還が再延期される |
| 3月10日 |
雨 |
旅篭代金壱分二百五拾九文払い勘定 |
残留浪士差配の命、17名連名で会津藩へ嘆願書 |
| 3月11日 |
雨 |
上下加茂明神様へ御幸被遊 |
孝明天皇、攘夷祈願の為、加茂社に行幸 |
| 3月12日 |
晴 |
明番、買物、三条通、風呂敷を買う |
夜、近藤ら会津藩預かりとなる! |
| 3月13日 |
雨 |
近藤・土方・井上参酒宴 |
浪士組江戸へ帰還 |