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■「石田大橋」2003年3月27日に開通いたしました。
◎日野バイパスの開通が2003年3月に開通しました。。新しく多摩川にかかる橋の名称募集に当HPでは「石田大橋」を推奨いたしました 当初は2車線で開通します。
◎当地石田村は天保年間〔1830年代)に多摩川は現在より北側(立川)を流れていましたが、大洪水にみまわれ、石田村は分断されました。

国立市には、石田地区が飛び地として今も存在し、土方家も多数あります。新年には両地区の親戚が交互に交流されています。昔は耕作地であった為、飛び地として石田が存在しました。現在の泉町ももとは石田でした。

この新しい橋は、両岸が石田で、170年を経て再び結ばれようとしています。 歴史ある名前を永遠に残す為に「石田大橋」の名前を推奨いたします。
郵便番号192-0045 八王子市大和田町4-3-13

相武国道工事事務所、調査第1課 「橋の名称」係

TEL 0426-43-2009  FAX 0426-44-3524

Email sobu_hp@ktr.mlit.go.jp
■ 「石田大橋」推奨理由
◎この橋は土方歳三の生家のあった場所で、歳三の遊んだとうかんの森、そして土方歳三の菩提寺の石田寺のすぐそばで、昔渡船場があり、若き歳三は近道のため多摩川を渡り、府中の六社明神(大国魂神社)に遊びにいった模様が浮んできます。
参考 多摩川の上流には「JR鉄橋」 「立日橋」 「日野橋」 「多摩川橋」があります。
■日野「石田」区画整理に関する資料
日野ニュース紙連載小説 冒頭大洪水の怖さが書かれています  クリックで拡大表示になります。
■ 小説「炎の男」続きはこちら
石田大橋にふさわしい外観でデビュー 優美な石田大橋の橋桁 「石田村」170年の夢が今、叶います
河川敷は野球場、サッカー場 ドックラン 堤防上は格好のジョギングコース 2002.10.5 撮影 
JR中央線鉄橋 立日橋,モノレール(動物園車輛) 日野橋 ユーミンでおなじみ中央高速道、多摩川橋
浅川と多摩川の合流付近、四谷橋が見える 新井橋、モノレールが通る橋 ふれあい橋(歩行者専門橋)
高幡橋(五重之塔が見える 一番橋(拡幅された新しい橋) 平山橋(太古の歴史ある名前)
平山橋のかわせみの表情
合流点の看板「石田大橋」が出来るとこうなります。
参考 浅川には「新井橋」 「一番橋」 「平山橋」 「滝合橋」などの
歴史ある昔からの地名がつけられています。
クリックで拡大表示 対岸 国立市 赤が土方家、五角紫が石田の飛び地   ミリオン1999地図より
国立市、石田地区、世帯数はとうけい国立を参照ください
参考文献 多摩川はJR鉄橋下で分流し多くの中洲ができ今朝ヶ島や源兵衛島と今でも呼ばれている。本流のような大きな流路が二つあり一つは現在よりかなり北にあった。

日野の渡しは官許のもので、幕府や武家の通る道で、 民間は今度できる新しい橋の所の渡をわたる掟があった。農民その他はこちらを渡る訳である。

大洪水は頻繁にあり、幕末の弘化4年は大惨事となった。日野の北側は一面の大河となり人身事故も起こった。

古玉川は谷保村の四谷と三屋を結ぶ北側を流れ、この大洪水で石田村も二つに分かれて多摩川の南北に別れる結果となった。

この時浅川も大きな流れの変化があり、新井と中島は別々になり現在浅川南に新井があるのもこの洪水が原因である。いずれにしても大洪水のあるたびに、農地耕地が多数潰され埋れ失われ河川敷内になってしまうと云う惨めさは、実に哀れであった。   高木 昂 著
■ 国土交通省 相武国道工事事務所ホームページ
2002.10.11朝の石田大橋 中央道にすぐのれます。 2002.10.11の日の出
2車線で開通、完成時は4車線になります 優美な石田大橋 土方歳三の生家のそばを走るモノレール
クリックすると拡大表示になります
日野市内に土方姓は175軒、石田地区内は28軒、国立市に26軒の土方姓がありますNTT資料
緑の絨毯と石田大橋 シルエットもすてきな「石田大橋」
 「石田大橋」へのご応募ありがとうございました。
明治14年の地図 多摩川は二股に分かれ石田村は
洪水の被害を受けました。右図参照
明治14年日野の地図 NO1 石田村は歴史ある大きな村落でした。
2003 1.23 石田大橋 初雪
■「石田大橋名称決定の経過報告
■3月27日「石田大橋」開通式
■「石田大橋」国立市側の写真
石田大橋の夕闇
石田大橋の朝日